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名古屋高等裁判所 昭和38年(く)6号 決定 1963年2月04日

少年 S(昭一八・九・一四生)

主文

原決定を取り消す。

本件を名古屋家庭裁判所豊橋支部に差し戻す。

理由

本件抗告の理由は、少年の差し出した抗告申立書に記載されているとおりであるから、ここに、これを引用するが、その要旨は、本件保護処分は、著しく不当である、というのである。

よつて、少年調査記録を含む一件記録を精査すると、少年の本件非行事実は、前後三回にわたる窃盗であるが、被害も割合に軽微であり、その手口も特に悪質であるとは、認められないし、少年には本件以来の非行歴は見当らず、その性格も比較的よく現実に適応する能力もあるようであるから、適当な身柄引受人がありさえすれば、この際少年を少年院に収容して矯正教育を受けさせるよりは、むしろ、通常の社会生活を営ませながら、これに適当な監督と保護を与え、その更生を計るのが相当であると思われる。原決定もこの少年に対しては、いわゆる在宅保護が望ましいことは、これを認めているのであるが、少年は母と死別し、父と弟とは結核のため療養中であり、尼崎に居住する叔父○谷○夫を除き他に適当な身柄引受人がないが、同人も原審の審判に出席しなかつたので、少年院に収容するのが相当である、としているのである。

ところで、少年の身柄引受人としては、右○谷○夫の外に適任者が見当らないこと及び同人が原審審判に呼出を受けながら出席しなかつたことは明らかであるが、右の事実だけから、同人に少年の監護につき熱意がなく、従つて少年には適当な身柄引受人がいないと即断することはできない、のみならず、本件記録によれば、右○谷○夫は、少年の身柄引受について十分誠意を持つており、原審審判に出席しなかつたことは、手落ちではあるが、呼出を受けながら全く欠席して了つたものではなく数時間遅刻のため、右審判に間に合わなかつたのであり、右遅参につき、全く理由がなかつたものとも認められないのである。(○谷○夫の司法警察官に対する供述調書、同人の原審裁判官及び富山少年学院長宛各再審判願と題する書面参照)そして、同人は、少年の叔父(少年の亡母の弟)であつて、尼崎に居住する実直な会社員(大正一五年一二月一〇日生)であることが窺えるのであるから、まさに、少年の身柄引受人としての適任者であり、同人の監護のもとに、少年をして通常の社会生活を営ませ、その更生を期待することは、十分可能であると認められるのである。

してみると、原決定が少年を在宅保護にしないで、少年院に送致する旨の決定をしたのは、処分に著しい不当があるものというべきであるから、本件抗告は理由があり、原決定は、取り消しを免れない。

よつて、少年法三三条二項に則り主文のとおり決定する。

(裁判長判事 影山正雄 判事 吉田彰 判事 村上悦雄)

(注) 本件については、昭和三八・二・九不処分決定

参考二

抗告申立書

S(一九歳)

私は去る昭和三七年一二月一五日名古屋家裁にて豊橋支部夏目判事様をもつて審判いたしました結果について抗告申し上げす。

審判の際引受人が遠路の為名古屋へ参りましたが道不案内の為時刻に遅れまして審判に間に合わず、やむなく私一人で審判を受けまして富山少年院へと送られて参りましたが自分といたしましてはもう一度審判をやつていただきたく抗告申し上げす。

尚審判の際参つております伯父は間に合わずに帰りましたが鑑別所へよりまして先生に会つている事も判明いたしましたし又自分といたしましても、やはり立合に自元引受人立合の上やりたくもう一度お調べお願いいたしたく思います。

昭和三七年一二月一九日

富山少年学院

S(一九歳)

名古屋家庭裁判所

豊橋支部殿

(原文のまま)

参考三

再審判願

名古屋家庭裁判所豊橋支部

裁判官 ○○殿

私は一二月一五日名古屋家庭裁判所に於て審判のあつた少年Sの判決に対し不満足のため下記理由により再審判をお願い致します。

一、私は当日貴裁判所豊橋支部裁判官○○氏の呼出状により上記Sの審判に出席しました。たまたま場所を間違つて時間に間に合はなかつたという事は差出人である封筒の裏面住所たる豊橋支部に行つた、そして受付の方に事情を話しました処これは名古屋の家庭裁判所に行くようになつておりますとの事でもう一度よく見なをしましたが、名古屋裁判所の文字が小さく所在地も書いてないので豊橋支部と大きく書いてある方に気を取られてしまつた。そこで受付の方に本日出席した事を○○裁判官にお伝へ下さいと呼出状をあづけました。受付の方も引受けて下さいました。その時は12/15、一三時三〇分頃でした、そして一度名古屋の少年鑑別所に行つて事情を話して特別に面会さしてもらつたらという事ですぐその足で鑑別所に行きました丁度当直であつた鑑護課長にお合い出来まして本日の結果を尋ねました処時間に間に合はず誠に残念あつた一生の失敗でしたね、もう少し早ければ本人は連れて帰つてもらへたか知れんと聞いて私はびつくりしました。私も朝早く大阪駅を急行第一なにはにて最短コース時間に合ふ様努力した。豊橋支部に行かなければ名古屋駅には一一時五〇分着だから何んとかなつておつたか知れんが兎に角豊橋支部の○○裁判官にお会ひ出来れば連絡もしてくれたらうと思つた。しかし土曜日のため午後は誰方もおられませんでした。私の持参した呼出状は○○裁判官はお受取り下さいましたか。それと鑑別所の課長より一週間以内に再審判願いの手続を取るようにお聞きしたのでよろしくお願い致します。

二、先に貴裁判所豊橋支部より保護者の調べが樋口担当官よりありましたがその一番下の欄左にSの審判は一二月一四日に名古屋家庭裁判所にてあるから出席されるか、されなければ理由を書けという処がありましたが私は一二月一四日は会社が忙しいので行けないと書いた。そして家に帰して貰いたいという処にも()印で書いてある。そしてこの書類は樋口担当官宛に返送済である。そこでこの一二月一四日と裁判官の呼出状による一二月一五日とはどういう関係にあるか、貴方は一日の誤差があり私は二・三時間の誤差しかなかつた。12/14と12/15と私はどちらの日がどうなのか判断に困つた。

三、私は最初豊川警察署にて司法の能勢係長にお会いして供述書なるものを提出しましたが裁判所では読んでもらへましたかその時も少年の一身上の事は私が責任をもちますから一日も早く帰して下さいと詳細に書いて貰つたはずですそして遠方のため度々来られないからよろしくお願いしますといつて帰る旅費その他を置いて帰つた係長も引受けてくれました。

まだまだ書く事は沢山ありますが此処で私は○○裁判官にお願いしたい事は将来ある少年Sを一日も早く帰して下さるよう御寛大なる処置をお願いしたい。必要なれば弁護士に依頼してもよいと考えております。何卒よろしくお願いします。

尚、富山少年学院長にも○○裁判官より事情を連絡して戴けませんか。

昭和三七年一二月一六日

兵庫県尼崎市○○町×丁目××

保証人○谷○夫

(原文のまま)

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